遊山箱の説明

 徳島県には、旧暦の節句に近い4月3日、4日に遊山箱を持って、遊山へ行く風習がありました。行き先の遊山は、住む地域によって異なり、レンゲ畑、公園、神社、山、川、海岸、土手や友人宅など様々でした。
 遊山箱は木製の三段重ねの重箱を、外箱に入れて取っ手を持って下げれるようになっています。一番下の箱には巻きずし、真ん中の箱にはお煮しめ、一番上の箱にはういろうや寒天を入れていました。ひな祭りのひし餅をまねて、緑、赤、黄の三色に塗り分けられた重箱が外箱に収まっているものが多いようでした。緑色は「大地」、赤色は「心」、黄色は「太陽」を表していると言われています。
 外箱には、赤色や黒色や茶色や緑色や青色などがあり、桜模様が一番よく描かれていました。中には雀、新幹線、阿波狸、将棋の駒などが描かれている遊山箱もありました。

 江戸時代頃は、大人数用の大きな重箱でしたが、大正時代前後(1912~1926)から、子ども用の小さな遊山箱が登場し、男女を問わず子ども達は一人1個ずつ持ち、遊山へ行き楽しんでいました。
 しかし、生活様式の変化やプラスチックの普及により昭和40年代(1965~)に入り遊山箱は廃れていきました。
 平成終わり頃から、遊山箱が復活され始め、遊山箱を作る職人さんも登場し、この風習を受け継いでいく活動が行われています。
「遊山」とは、元来、春の農業を始めるのに、田の神を迎える祭りごとだったと考えられています。
 遊山箱は阿波の木工に由来していると思われます。江戸時代の阿波蜂須賀家は御座船修理、製作の為に船大工を要していました。明治維新以後、船大工がその経験を活かして木工が盛えました。特に阿波鏡台の産地でした。昔は余った木を使って遊山箱を作っていたと言われています。昔、金物屋さんでは、遊山箱は吊り下げられて販売されていたそうです。
 
※日英版絵本『遊山箱もって』(原田印刷株式会社)の記載内容を加筆修正しています。
※江戸時代、明治時代に「遊山箱(ゆさんばこ)」と呼ばれていたかは不明なので、江戸時代、明治時代は重箱と表記しました。

※大正12年生まれのT.K様が幼少期には「ゆさんばこもってゆさんへ行った」と言われましたので、大正時代には「ゆさんばこ」と言われていたこと がわかります。

※昭和元年生まれのK.I様が幼少期には「『ゆさんばこ』と言っていた」と聞きましたので、昭和初期には「ゆさんばこ」と言われていたことがわかります。
  
※当ページに掲載の遊山箱は、管理人所有の遊山箱と、ご賛同して下さった方々の遊山箱になります。

遊山箱の思い出話

    
<早くこいこい、お節句>
  木村輝子様(大正12年生まれ 小松島市在住)

お遍路四国八十八箇所18番札所恩山寺(小松島市)のふもとに住んでいました。
幼少期から、芝田小学校(小松島市)の子どもの頃(小学3年生ぐらい)まで、恩山寺近くの山へ遊山箱を持って遊山へ行きました。
4月のお節句には、小学校から帰ると、遊山箱にお母さんが手作りのお煮しめ、巻きずし、ようかん、寒天(たまごいり)などを詰めてくれていました。その遊山箱を持って友達と遊山へ行きました、遊山箱が空っぽになると、家に帰って詰めてもらい、今度は違う場所へ遊山に行きました。
3,4歳の子どもも遊山箱を下げて遊山へ行ってました。
遊山箱にはお箸入れの細長い袋がぶら下がっていました。
おひなさまの前でも、遊山箱を広げて食べました。お餅を小さく切ったあられをお母さんが作ってくれました。
友達の遊山箱の中身を見るのが楽しみでした。中身を交換して分け合って食べました。
5月のお節句には米を臼で引いた粉で柏餅を作ってくれました。
普段はごちそうが食べられないので、「紋日が来たらごちそうが食べれる」と、遊山箱を持つ日を指折り数えて待っていました。
「早くこいこい、お節句」と言ってました。

年代不明の遊山箱

黒色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ22㎝×幅26㎝×奥行16㎝。
外箱の落とし蓋の上に雲のような模様の板があります。。
外箱の内側、落とし蓋の内側は黒色です。
外箱の真ん中より少し下に仕切り板1枚あります。仕切り板の上下も黒色です。下の板には、金色の淵が前にあります。
内箱は合計6個あります。色は全て黒色の漆です。内箱の内側も黒色の漆です。
上下の大きい箱4個の蓋の裏側は黒色で縦に金色に淵があります。
上下の段の内箱の蓋は黒色一色です。
大きい下段収納の内箱、2段重ねの上段収納の内箱、中央に丸い穴が開いている上段収納の内箱には黄色の淵があります。
上下の段に、細長いサイズの箱が1個ずつ収納され、上段の箱の高さが他の箱より高いです。
内箱下段の大きい箱のサイズは高さ7㎝×幅21㎝×奥行12cm。
内箱上段の2段重ねの1個の箱の大きさは高さ3,5㎝×幅13,5㎝×奥行12cm。
内箱上段の中央に穴が開いている箱の大きさは高さ7,5㎝×幅7㎝×奥行12cm。
上下にある小さい細長い箱の、下段の小さい箱は、高さ7、5㎝×幅3㎝×奥行12cm。
窓はなく、後ろに内箱を出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のおしゃれな丸い型です。

正面の落とし蓋と横の一カ所に、「おべんとう箱」の文字を筆で書いた細長い白紙が貼ってあります。
この文字は昭和22年生まれの樫原様のお母様もしくは、おばあ様が筆で書かれたと思われています。
※おじいちゃん、もしくはもっと先代の方の遊山箱かもしれないので、家族用の大きな遊山箱であることから、明治時代の遊山箱と思われます。

樫原家の子孫の方が、代々大切に保管してきました。

明治時代の遊山箱

明治33年の遊山箱(落とし蓋に記載あり)です。高さ21㎝×幅13,5㎝×奥行15㎝。
茶色の遊山箱です。外箱の内側、前の落とし蓋の内側は木のままです。
前の落とし蓋の上下に木のデザインがあります。
家族用で内箱は4段です。箱の中は朱色の漆で塗られています。内箱の上の蓋の内側も朱色の漆です。
一番下の箱が深いです。
窓はなく、後ろに内箱を押し出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。
※令和に入って、遊山箱を下げると落とし蓋がはずれだしたので、修理に出して直してもらいました。
そのとき、外箱の外側をウレタン塗装しています。

ご先祖さまが物置部屋に大切に保存していた品です。
子孫の方々は何の箱がわからなかったそうですが、大切に保存し続けていました。
絵本『遊山箱もって』(原田印刷出版)を読んで、初めて、この箱が「遊山箱」であることを知りました。

昔、詰められていたという「巻きずし」「寒天」「阿波ういろ」「おにしめ」「ゆでたまご」などを木で作成し詰めてあります。

明治時代と思われる遊山箱

黒色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ14㎝×幅10,5㎝×奥行19,5㎝。
外箱の内側も黒色です。
内箱は2段です。箱の外側は朱色、内側は黒色で塗られています。
下段は深くて細長い長方形の箱が1個です。上段は3個です。少し深い箱1個と浅くて小さい箱2個です。
外箱には、右側と左側に丸い窓があります。後ろには窓はありません。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

高橋玲子様(昭和21年生まれ)の先代の先代の遊山箱です。
徳島大空襲の中、家は焼けることなく残ったので、この遊山箱も残りました。
子孫の方が大切に保存し続けています。

年代不明の遊山箱

茶色(古代朱)の遊山箱です。高さ17,5㎝×幅13,5㎝×奥行14㎝。
遊山箱に模様はありません。前の落とし蓋の上下に雲のような模様板が付いています。
外箱の内側は木のままですが、前の落とし蓋の内側は黒色の漆が塗られています。
内箱は4段です。箱の外側は、外箱と同じ茶色の漆、内側は朱色の漆が塗られています。内箱の箱の裏も朱色です。
縦長のもっこ窓が左右に2個あります。前の落とし蓋には正方形のもっこ窓が1つあります。箱の後ろに小さい穴はありません
取っ手はライトブラウン色で半円形型です。
外箱の左右の下の中央に高さ0,5cm×幅5,5cmの隙間があります。
取っ手が付いている外箱の上蓋は、高さ0,5cm×幅2,5㎝のはめ込みが3か所あります。
外箱の下側の板も高さ0,5㎝×幅5,5cmのはめ込みが1か所あります。

<骨董市で買った遊山箱>
    故・松田秀夫様(大正9年生まれ 愛媛県在住)

60歳の頃(昭和55年)、県外の骨董市(娘さんより「多分高知県の日曜市と思われます。
日曜市の品と一緒に、父がこの遊山箱を持って帰ってきました」)で買いました。
買ったときは、この重箱がどんな箱とは知らず(家族も)に、家に置いていました。
娘が結婚して徳島県徳島市へ嫁ぎ、徳島市にある遊山箱に出合いました。
それで、実家にある重箱は遊山箱とわかりました。

この遊山箱は令和5年まで愛媛県の松田様のお家で大切に保管されていました。
松田秀夫様がお亡くなりになり、実家を片付けるのにあたり遺品整理を行い、娘さんが徳島へ持ち帰り大切に保管されていました。

※内箱が4段、正面の落とし蓋に雲のような模様があることから明治時代の遊山箱と思われます。

大正時代に女の子が使っていた遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ18㎝×幅12,5㎝×奥行13㎝。
桜の花が金色で、前、後ろ、左右、上側に散りばめるように描かれています。
みごとな金色です。
外箱の内側も黒色です。
内箱は3段です。箱の外側は朱色、内側は黒色の漆が塗られています。
下段の箱が少しだけ深いです。
つつらのようなスリット窓が前側、左右、後ろ側に3個ずつ、少しずつ高さを変えて並んでいます。
取っ手はライトブラウン色で長方形型です。

大正生まれの馬場芳子様(徳島市いかりや珈琲店創業者)の遊山箱です。
馬場智恵子様(昭和17年生まれ)のお母様の遊山箱です。

大正時代と思われる遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ12,5㎝×幅12,5㎝×奥行16,5㎝。
花と葉っぱと丸の模様を金色で、前、後ろ、左右、上側と同じように描いています。
外箱の内側も黒色です。
内箱は3段です。箱の外側は朱色、内側は黒色の漆が塗られています。
下段はとても深い長方形箱です。上段と真ん中の段の箱は深さが浅いです。
つつらのようなスリット窓が前と左右に3個ずつ、高さを変えてあります。後ろは、ほんの少し高さが違うスリット窓が2個あります。
取っ手は淡いブラウン色の半円型です。

高橋玲子様(昭和21年生まれ)の先代(徳島市在住)の遊山箱です。
徳島大空襲の中、家は焼けることなく残ったので、この遊山箱も残りました。
子孫の方が大切に保存し続けています。

大正時代の遊山箱

茶色(古代朱)の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ13㎝×幅11㎝×奥行16㎝。
外箱に模様はなく、木目が見える遊山箱です。
正面の落とし蓋の上に、雲のような模様の板がありあます。
外箱の内側は木のままです。外箱の正面の落とし蓋の裏側は木のままです。
内箱は3段です。内箱の外側は木目が見える茶色、内側は黒色の漆が塗られています。
一番下の箱が少し深いです。
内箱の上の蓋の裏側は黒色です。
長方形の窓が左右に2個あります。後ろには取り出しようの小さい窓はありません。
取っ手は黒色の半円型です。

同じ遊山箱が2個ありました。
それぞれの遊山箱の正面の落とし蓋の裏に、「十三」「十七」の文字が書かれています。文字の意味は不明です。
ひとつは、昭和22年生まれの樫原様のお父様(大正7年生まれ)の遊山箱です。
もう一つは、そのお父様の弟様(大正10年前後生まれ)の遊山箱と思われます。

樫原様が大切に保管されてきました。

大正時代に女の子が使っていた遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ14,5㎝×幅11,5㎝×奥行12㎝。
桜の花びらと幾何学模様が金色で、前、後ろ、左右、上側に散りばめるように描かれています。
外箱の内側は木のままです。正面の落とし蓋の内側も木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は赤色、緑色、朱色の漆です。内側は黒色の漆が塗られています。
内箱の朱色の蓋の裏は黒色の漆です。
丸窓が前側、左右、後ろ側に4あります。
取っ手はシルバー色で長方形型です。

昭和20年生まれのT様が、親戚のおばさん(大正10年前後生まれ)の遊山箱を大切に保管してきました。
親戚のおばさんは徳島市に住んでいたので、子どもの頃、眉山のふもとにある天神社から少し上がった大滝山(徳島市)にある桜並木へ行き、そこにあるお花見用の座敷に座って遊山したと思われます。

大正時代と思われる遊山箱

木目が見える茶色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ15㎝×幅11,5㎝×奥行12㎝。
外箱には模様はありません。
外箱の内側は木のままです。外箱の正面の落とし蓋の裏側も木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は木目が見える茶色、内側は黒色の漆が塗られています。
内箱の上の蓋の裏側は黒色の漆です。
下段が深くなっています。
丸窓が前と左右と後ろに4個あります。
取っ手はシルバー色でたいらな型です。

昭和20年生まれのT様が、親戚のおばさん(大正10年前後生まれの方のご姉妹)の遊山箱を大切に保管してきました。

<この遊山箱で遊山した思い出話>
 
汽車に乗って遊山
   T様(昭和20年生まれの男性の方)

親戚のお家は、兄弟の中で女の子が遊山箱を1人1個持っていて、男の子は遊山箱を借りて遊山へ行ってました。
親戚のおばさんにこの遊山箱を借りて、金毘羅神社(鳴門市)や妙見山(鳴門市)へ遊山に行きました。
遊山箱をさげて汽車に乗って、眉山(徳島市)へも遊山に行きました。
家で、小豆が入っている寒天やういろや巻きずしを作って詰めてくれました。
びっしり詰めてくれていたので、遊山箱から内箱を出して3段の箱を並べても、お料理はきれいに詰まっていました。
遊山箱が空っぽになると、遊山に行った所にある親戚のお家で、再度遊山箱にお料理を詰めてもらいました。

大正時代と思われる遊山箱

木目が見える茶色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ14,5㎝×幅11×奥行10㎝。
外箱には模様はありません。
外箱の内側は木のままです。外箱の正面の落とし蓋の裏側も木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は木目が見える茶色、内側は黒色の漆が塗られています。
内箱が他の遊山箱に比べて1,5㎝外箱の中へ入っています。
内箱の上の蓋の裏側は黒色の漆です。
下段が深くなっています。
丸窓が前と左右と後ろに4個あります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

昭和20年生まれのT様が、親戚のおばさん(大正10年前後生まれの方のご姉妹)の遊山箱を大切に保管してきました。

年代不明の遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ30cm×幅17㎝×奥行17㎝。広げると幅34cm。
外箱には笹の葉を金色で、前後左右に描いています。
外箱の内側、中の棚も黒色の漆で塗っています。
シルバー色の金具が前(開閉のため)に1つ、後ろに2つ付いています。
内箱の蓋にはすずめ踊りをしている2人(奴装束に傘をかぶっています)と物語に登場する翁と思われる絵が、金色や黒色などで描いています。
内箱の一箱ずつの全側面にすずめ踊りをしている人を1人ずつ描いています。
上から3段目の箱だけすずめ踊りをしている人を2人ずつ描いています。
内箱は4段です。箱の内側、外側も朱色に漆を塗っています。箱のサイズはみんな同じです。
一番上の棚には、取皿5枚と楊枝入れの箱が入っています。
取皿にはすずめ踊りをしている人を2人ずつ描いています。
爪楊枝入れの箱の中に笹の葉を2つ描いています。
デザインされた大きな縦長の窓が前後左右に4個ついています。
取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。
取っ手が遊山箱に触らないように、シルバー色の丸くて小さいストッパーが2個付いています。

昔、徳島城の内堀にかかる数寄屋橋を渡って徳島中央公園(徳島市)に入った所にあった、
料亭「喜楽」で使用されていた遊山箱です。
外に持っていくお弁当として使われていました。
料亭「喜楽」は、昭和初めに創業されました。
この料亭は徳島大空襲(家族は徳島公園の池へ逃げたそうです)で焼けてしまったのですが、このとき、この遊山箱は、昭和11年生まれの東條様のお父様の親戚のお家(空襲の火災に合いませんでした)へ行っていたので戦災を免れ現存しています。

<この遊山箱持ち主様からのメッセージ>

戦災を免れた遊山箱   
   東條浩士(昭和11年生まれ 徳島市在住)

私の家は戦前、徳島公園の中で「喜楽」と言う料亭を営んでいました。
お花見の頃は、食事をなさるお客さま、お弁当を注文されるお客さまで賑わっていました。
この遊山箱はお弁当用に作られたものです。
徳島大空襲のとき、この遊山箱はたまたま親戚の家へ行っていたのですが、その家が戦災を免れ、我が家に持ち帰りました。
料亭にあったものは昭和20年7月4日未明の空襲で全て焼失してしまいました。

昭和初期に子どもだった方(女の子)の遊山箱

黒色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ9cm×幅9㎝×奥行11㎝。
金色でチョウチョの絵と松の葉が全体に描かれています。
外箱の内側は木のままです。
前のおとし蓋には、丸い窓の上にチョウチョが二匹、下に2匹あり、同じ大きさで描いています。
後ろには、丸い窓の上に2匹、下に2匹です。大きいチョウチョと小さいチョウチョです。向きが、前のおとし蓋と違います。
右側と左側には丸い窓の上に大きいチョウチョが1匹、窓の下に3匹です。
内箱は3段です。箱の外側は朱色、内側は黒色です。
一番下の箱が少しだけ他の2箱より深くなっています。
丸い窓が4個、前と後ろ、右側と左側にあります。
取っ手は黒色で、四角い型です。

徳島市にお住まいの大正11年生まれの女性の方(高橋玲子様のお母様)が、昭和初期の幼少の頃、この遊山箱を持って遊山へ行ったそうです。
徳島大空襲(眉山へ避難したそうです)の中、家は燃えることなく残ったので、この遊山箱も残り、娘さんが大切に保存し続けています。

昭和初期と思われる遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です。高さ14,5㎝×幅11,5㎝×奥行10,5㎝。
鶴と松が金色で描かれています。外箱の内側、前の落とし蓋の内側は木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は赤色、黄色、緑色の三色で、内側は黒く塗られています。内箱の上の蓋の内側も黒い漆です。
一番下の赤色の箱は他の2箱より深くなっています。
前後左右と4カ所に丸い窓があります。
取っ手は黒色の長方形に近い型です。
詰め物は、昔、遊山箱に詰めれていた「巻きずし」「おにしめ」「たまごやき」「寒天」などを木製で作った物です。

昭和29年生まれの方の親戚のおばさんが子どもの頃に使っていた遊山箱です。

遊山全盛期に子どもだった方(女の子)が使っていた遊山箱


茶色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ13㎝×幅10㎝×奥行14㎝。
絵は描かれていなくて、外箱は茶色一色です。
外箱の内側は木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は黄色、緑色、赤色の3色です。内箱の蓋は黄色です。
内側は黒色の漆で塗られています。
一番下の黄色い箱が他の2箱より深くなっています。
長方形のもっこ型の窓が右と左に2個あります。箱の後ろに小さい穴はありません。
取っ手は茶色のかまぼこ型です。

<この遊山箱で遊山した思い出話>
  
沖洲の土手で遊んだ遊山
  馬場智恵子様(昭和17年生まれ 徳島市在住)

徳島市沖洲小学校の子どもの頃、沖洲の土手へ友達と遊山へ行って、遊山箱を広げて食べました。
家へおかわりに行く子どももいましたが、私は1回で食べ終わりました。
遊山箱には、お煮しめ、緑色と赤色の寒天等、家で手作りした料理を詰めてくれました。
遊山に行って、沖洲の土手を段ボールを座布団にして滑って楽しみました。

遊山箱には知人の方が作ってくれた手芸のお料理が詰められて大切に飾られています。

遊山全盛期の女の子の遊山箱


黒色の蒔絵の遊山箱です。(持ち主様所蔵)。高さ14,2㎝×幅10,2㎝×奥行14㎝。
金色で小鼓、桜の花と花びら、松の葉が全体に描かれています。桜吹雪のような模様です。
外箱の内側も黒色です。
内箱は3段です。箱の外側は黄色、赤色、緑色の3色です。内側は黒色の漆で塗られています。
一番下の黄色い箱が他の2箱より深くなっています。
長方形のもっこ型の窓が右と左に2個あります。箱の後ろに小さい穴はありません。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

<この遊山箱の持ち主様からのメッセージ>

遊山箱は観ていた  
 児童文学作家 竹内紘子(昭和19年生まれ 徳島市在住)

遊山箱を下げて花見見物した、などという経験はない。
「きれいに保存されていますね」と収集されているYさんが言う。
そのはずだ。この箱の出番はほとんどなかった。
覚えているのは、分不相応に立派な御殿作りの雛壇に飾られた「遊山箱」があったということだけだ。
戦前、籠屋町で大きな呉服屋を営んでいた実家は、跡取り孫娘のための雛壇であったのだろう。
私は昭和19年3月3日の生まれである。
徳島空襲前、時折、B29なる爆撃機が空を飛んでも、まだ町には戦争の被害の無い時だった。
戦後、実家は没落し、自身も日々の生活に追われる中で「遊山箱」が登場する場面はなかった。
やっと孫の時代になって数度使った覚えがある。
自分にとって「遊山箱」は実家の、また、自分の人生を静観していただけの歴史の遺物だ。

遊山全盛期に子どもだった方(女の子)が使っていた遊山箱

赤色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ13cm×幅11㎝×奥行16cm。
ピンク色と白色と黄色(ベージュに近い色)の手毬3個と紐が、前と後ろ、左右に描かれています。
手毬には桜の花びらが上下に3枚ずつ描かれています。
ピンク色の手毬は、濃いピンク色の花びらと紺色の花びらです。
白色と黄色の手毬は、濃いピンク色の花びらと緑色の花びらです。
外側の内側は木のままです。正面の落とし蓋の裏側も木のままです。
内箱は3段です。内箱の外側は緑色、赤色、黄色の3色で、内側は木のままです。
内箱の蓋の裏側も木のままです。
一番下の緑色の箱が他の2箱より深くなっています。
正方形のもっこ型の窓が左右に2個あります。外箱の後ろに内箱を出す穴はありません。
取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。

<この遊山箱で遊山した思い出話>
  
汽車を見ながら遊山
  K.O様(昭和21年生まれの女性の方 小松島市生まれ)

幼稚園から小学校低学年ぐらいまで遊山へ行っていました。
家の後ろにある線路(牟岐線)と家の間に畑があり野菜を作っていました。
その畑に、ござを敷いて汽車を見ながら、近所のお友だちや弟(昭和22年生まれ)や従妹達と一緒に遊山しました。
また、家の塀に沿ってある花壇(幅1メートルぐらいの長い花壇)に咲いている花を見ながら遊山しました。
遊山箱には、お母さん手作りの巻きずしや卵焼きやういろ(ほわほわしていて、あまり甘くない)が詰められていました。
旧のお節句の頃に遊山しました。
戦後、物のない時代だったので、私のおひなさまは小さい御殿雛が飾られていました。


遊山全盛期に小学1,2年生頃まで女の子が使っていた遊山箱

深紅色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ13cm×幅10㎝×奥行12cm。
ピンク色と白色の椿の花と金色の筋が描かれています。
外側の内側は木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は緑色、赤色、黄色の3色で、内側は木のままです。
一番下の緑色の箱が他の2箱より深くなっています。
正方形のもっこ型の窓が左右に2個あります。外箱の後ろに内箱を出す穴はありません。取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。

<この遊山で遊山した思い出話>

眉山へ遊山 
   高橋玲子様(昭和21年生まれ 徳島市在住)

4,5歳から小学校1,2年生の頃まで、この遊山箱を持って眉山(徳島市)に遊山へ行きました。
遊山箱が空っぽになるとおかわりをしに行きました。
4月3日「遊山の日」は、自分の家だけでなく、どこの家に行っても、食べ物を詰めてくれました。

遊山全盛期に子どもだった(男の子)方が使っていた遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ14㎝×幅15㎝×奥行10,5㎝。
外箱全面にチョウチョと松の葉が金色で描かれています。大きいチョウチョ2匹、小さいチョウチョ2匹の合計4匹ずつが各面にいます。
外箱の内側は黒色、前の落とし蓋の内側も黒色です。
内箱は3段です。箱の外側は赤色、黄色、緑色の三色で、内側は黒色の漆が塗られています。内箱の上の蓋の内側も黒色の漆です。
一番下の赤色の箱は他の2箱より深くなっています。
前後左右と4カ所に丸い窓があります。
取っ手はシルバー色の平たい長方形型です。

<この遊山で遊山した思い出話>

弁天さんへ遊山 
   樫原康文様(昭和22年生まれ 小松島市在住)

小学校1,2年生の頃まで、この遊山箱を持って弁天山の金磯海岸や横須海岸の松原(小松島市)の砂浜へ遊山に行きました。
菜の花が咲いている田んぼや、友達の庭など、外で遊山をしました。
遊山箱をさげて、おじいさん、おばあさん初め、家族で外へ出かけるのは子どもにとって楽しかったです。
旧のお節句に遊山したので、おひなさまが飾ってありました。
遊山箱には、「巻きずし」「ういろ」「緑色や赤色の寒天」「たまご料理」(鶏を飼っていた)などが詰まっていました。遊山箱をさげて歩いても、箱の中で崩れにくい食べ物が詰まっていました。
遊山箱が空っぽになるとおかわりをしに行きました。

遊山全盛期に子どもだった(男の子)方が使っていた遊山箱

濃い紫色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ13,5㎝×幅11㎝×奥行11,5㎝。
全体に将棋の王将の駒と竹が描かれています。
外箱の内側は木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は黄色、黄緑色、水色の3色で、内側は木のままです。
3個の箱の大きさは同じサイズです。
丸い窓が左右に2個あります。外箱の後ろ内箱を出す穴はありません。
取ってはシルバー色のかまぼこ型です。

昭和25年生まれの男性の方が、弟(S.K 昭和29年生まれ)様と一緒に第十堰へ遊山した遊山箱です。

遊山全盛期に小学1,2年生だった(女の子)方が使っていた遊山箱

赤色の遊山箱です。高さ13,5㎝×幅11㎝×奥行16㎝。
宝船と桜の花と花びらと金色の筋が描かれています。桜の花びらは、白色とピンク色があります。
外箱の内側、前の落とし蓋の内側は木のままです。
内箱は3段です。箱の外側は黄緑色、黄色、赤色の三色で、内側は木のままです。内箱の上の蓋の内側も木のままです。
一番下の黄緑色は他の2箱より深くなっています。
左右に長方形の「もっこ型」の窓が2個あります。外箱の後ろに内箱を出す穴はありません。
取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。

<この遊山箱で遊山した思い出話>

思い出が詰まっている遊山箱
  C.T(昭和27年生まれの女性 阿南市在住)

遊山箱には巻きずし、ウサギのりんご、ゆで卵の桃の花、寒天、ネーブル、ういろなどが詰まっていました。
(写真の絵はこの遊山箱で遊山へ行った持ち主様が描いてくれました)。
お節句は旧暦の4月3日です。いつもより、よそ行の服を着せてくれて遊山へ行きました。
遊山は、家の周りのれんげの花が満開に咲いている田んぼへ行きました。
嬉しくて、転げ回って、青い草花でお洋服を汚して叱れた記憶があります。
また、お兄さん達の後をついて、近くの山を登る遊山もしました。
4月3日は、遊山箱持って遊山へ行った思い出があふれるように詰まっている日です。

この遊山箱は、日英版絵本『遊山箱もって』、英語版絵本『Yusanbako』(絵・文 やまさきじゅんよ 原田印刷出版)の表紙絵のモデルになっています。

遊山全盛期に子どもだった(男の子)方が使っていた遊山箱

黒色の蒔絵の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ14㎝×幅10,5㎝×奥行15㎝。
白色の鶴と金色で亀の甲羅が描かれています。
外箱の内側は木のままです。
内箱は3段です。外側は黄色、赤色、緑色の三色で、内側は黒く塗られています。
一番下の緑色の箱が他の2箱より深くなっています。
丸い窓が前後左右に4個あります。
取っては黒色の長方形に近い型です。

<この遊山箱で遊山した思い出話>
 
渡し舟に乗って遊山    
   S.K(昭和29年生まれの男性の方 石井生まれ)

5,6歳の頃、4歳年上のお兄さん(将棋と竹の絵の遊山箱の持ち主様)と一緒に遊山箱を持って遊山へ行きました。
石井に住んでいたので、吉野川の六条の渡し船に乗って北岸にある第十堰の水沢小屋へ遊山に行き、
きれいに咲いている桜の花を見ながら食べました。
遊山箱には、「チラシ寿司(桜でんぷ、錦糸卵)」「蓮根の煮物」「ういろ」などが入っていました。

遊山終盤期に子どもだった(女の子)方が使っていた遊山箱


朱色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ14,5㎝×幅10,3㎝×奥行14,8㎝。
当時流行っていたと思われる少女の絵と小さい丸が2個、正面と左右と上側に描かれています。
正面の少女はピンク色で描かれ、黄色い丸です。左右の少女は黄色で描かれ、水色の丸です。上側の少女は水色で描かれ、白い丸です。
外箱の内側は木のままです。
箱は3段です。箱の外側は全て朱色で、内側は木のままです。
一番上の箱が少し深くなっています。
左右に花型の窓が2個あります。外箱の後ろに内箱を出す穴はありません。
取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。

昭和34生まれの女性の方が子どもの頃に遊山に行った遊山箱です。

<この遊山箱持ち主様からのメッセージ>

宝物の遊山箱   
    近藤知子(昭和34年生まれ 徳島市生まれ)

子どもの頃、早春の時期が来ると、近所の友達と誘い合って、小高い山や丘、野原にでかけていました。そのときに手に提げていたのが「遊山箱」。
小さいお重のような箱が3個、上下に重なって外箱に納まっていて、その中には母手作りのお巻き寿司やういろう羊羹などが入っていました。
友達と連れ立って、遊山箱を提げて歩いていると、近所のおじさんやおばさんがニコニコしながら、「どこに行くん?」と声をかけてくれて、「遊山に行くの!」とみんなで答えていました。
野山に着くと、みんなで遊山箱を開けて、ごちそうを食べ、その後は追いかけっこしたりして、思いきり遊んでいました。
春の日差しを浴びながら、早春の息吹を全身で感じた、とても幸せな記憶です。

「遊山箱」が徳島だけの文化と知ったのは、ずっと後のこと。
日本には古来、「野遊」「春山のぼり」「若菜摘み」など、早春に野山に出かけて命の芽生えを全身で感じ取り、生命力をおすそ分けしてもらうという風習がありました。
こうした素敵な伝統を徳島は受け継ぎ、遊山、遊山箱という独自の文化として花開かせたのですね。

母が大切に保管してくれていた遊山箱を今回初めて画像公開いたします。
傷もあちこちにありますが、私にとってはかけがえのない宝物です。       

遊山終盤期に子どもだった(女の子)方が使っていた遊山箱

赤色の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ13,5㎝×幅10㎝×奥行14cm。
桜の花模様の扇と黄色い花などが全体に描かれています。
内箱は3段です。外側は緑色、赤色、黄色で、内側は木のままです。
一番下の緑色の箱が他の2箱より深くなっています。
長方形のもっこ型の窓が左右に2個あります。
取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。

<この遊山箱で遊山した思い出話>

楽しい思い出の遊山箱
  T.S(昭和35年生まれの女性の方 小松島生まれ)

4,5歳の頃、もしくはもっと幼い頃から持っていました。
3月3日のひな祭りに桃の花や菜の花を飾って、おひなさまの前で、遊山箱に詰められている巻きずしやうずまきういろうを食べるのが楽しみでした。
お母様とおばあ様が、わいわい言いながら巻きずしを巻いている姿を見るのも楽しく、巻きずしを巻く練習もしました。
4月には、桜の花が満開に咲いている恩山寺(小松島市、第18番札所)や日の峰山(小松島市)へ遊山箱を持って、家族や友人と出かけました。
楽しい思い出として心に残っています。

年代不明の遊山箱

茶色の合成樹脂の遊山箱です(持ち主様所蔵)。高さ19㎝×幅18㎝×奥行15cm。
外箱は木目調で、正面に落とし蓋はありません。外箱の内側は黒色です。
取皿に料理を入れるお箸が立てれるように、上と下に穴が開いています。
内箱は3段です。サイズは高さ12㎝×幅13,5㎝×奥行13,5㎝の正方形です。
外側は黄色、緑色、朱色で、内側は黒色です。内箱の一番上の蓋の内側は黒色です。
一番上の朱色の箱が他の2箱より深くなっています。
瓢箪(ひょうたん)型の窓が左右に2個あります。
後ろにはつつら型の窓が1個あります。
取っ手はシルバー色のかまぼこ型です。
木目調の長方形の取皿が2枚両端に入っています。取皿の裏側は黒色です。
外箱の両端に取皿の木目調を窓の方へ向けて納めると、内箱がきちんと収まるようなっています。
この遊山箱は重いです。

昭和20年生まれのT様が、親戚のおばさん(大正10年前後生まれ)の姉妹達の遊山箱と一緒に大切に保管してきました。
この遊山箱の詳細はわからないとのことです。

昔の遊山箱の復刻版遊山箱

1934年生まれの女性の方が子ども頃に使っていた小さい遊山箱の復刻版です。 
高さ12,5㎝×幅9㎝×奥行9,5㎝。
この方は黒色の遊山箱ですが、赤色で復刻しました。漆器蔵いちかわ作。
桜の花びらと鼓の絵が金色で描かれています。外箱の内側も赤色です。
内箱は3段です。箱の外側は赤色、黄色、緑色の三色で、内側は同じ色で塗られています。
一番下の緑色の箱がほかの2箱より、ほんの少し深くなっています。
桜型の窓が左右前後に4個あります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

遊山箱には卵の細巻4個と卵焼きを、お母さんが作って詰めてくれたそうです。
お話から想像してフェルト作成の「卵の細巻」「寒天」「ういろ」「おにしめ」などを詰めました。

現代の遊山箱

赤色の遊山箱です。ほぼ正方形です。高さ17㎝×幅15,5㎝×奥行16,5㎝。山口木工作。
全体に桜の花と花びらと蕾がピンク色で描かれています。外箱の内側も赤色です。
内箱は3段です。外側は黄色、赤色、緑色の3色で、内側は同じ色で塗られています。
3個とも箱のサイズは同じです。
丸い窓が左右に2個あります。後ろに内箱を押し出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

遊山箱に詰められていたという「ちらしずし」「おにしめ」「ゆでたまご」などをフェルトで詰めました。

この遊山箱は、絵本『とくしまからきました』(絵・文 やまさきじゅんよ 郁朋社)のラスト場面に、サイズを長方形に変えて描いています。

現代の遊山箱

桜色の遊山箱です。ほぼ正方形です。高さ17㎝×幅15,5㎝×奥行16,5㎝。山口木工作 (山口木工様所蔵)。
全体に満開の桜の花が浮かぶような桜色です。桜の花と花びらと蕾が描かれています。外箱の内側もピンク色です。
外箱の中の3段の箱は、ひな飾りの菱餅と同じ、黄緑色、ピンク色、白色となっています。内側も同じ色で塗られています。
丸い窓が左右に2個あります。後ろに内箱を押し出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

現代の藍染遊山箱

藍染の遊山箱です。ほぼ正方形です。高さ17㎝×幅15,5㎝×奥行16,5㎝。山口木工作(山口木工様所蔵)
6年あまりかけて乾燥させた檜板で製作した遊山箱を本藍染して、仕上げにウレタン塗装をしています。
外箱の内側も藍染めしています。
本藍染は「藍染公房 こだわり」さんで、木の年輪を活かすように染めています。
阿波藍の蒅(すくも)を灰汁醗酵建てして、藍染めしています。
内箱は3段です。同じサイズの箱が3個で藍染されています。
丸い窓が左右に2個あります。後ろに内箱を押し出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

現代の藍染遊山箱

杉板で手作りした遊山箱の外箱を藍染しています。高さ15,5㎝×幅10,5㎝×奥行11㎝。
上板町にある「技の館」で藍染してもらいました。木目が残るように藍染しています。
外箱の内側も藍染しています。
くぎは使わず、凹凸を差し込むほぞ組で作成しています。
内箱は3段です。同じサイズの箱3個で杉板のままです。
丸窓が左右に2個あります。後ろに内箱を押し出す小さい丸があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。
窓をくりぬてできた丸い杉板を、正面の扉に貼っています。もう1個はチェーンをつけて、取っ手につけています。

昔詰められていたという「細巻」「たまごやき」「おにしめ」等をフェルトで詰めてあります。

現代の木彫り遊山箱

朴(ほお)の木と栃(とち)の木を用いて製作された遊山箱を木彫りしています。ほぼ正方形です。
高さ19㎝×幅17,5㎝×奥行18㎝。
外箱は藍色の漆で塗っています。内側も藍色の漆を塗っています。
正面の扉には藍の花と葉を沈め彫り(沈め彫り)しています。横にも藍の花が一輪掘られています。
外箱の上には綱代彫り(あじよぼり)しています。 
内箱は3段です。同じサイズの箱3個です。
内箱は、摺りうるし(漆を刷毛で塗り、布でふき取って乾かすという工程を何度も繰り返す伝統技法)を
施していますので食べ物を入れることができます。木の茶色が美しさを増して輝いています。
3個の箱を重ねると、正面には藍の花と葉が一輪、沈め彫りされているのがわかります。
上の蓋には、右端から横にかけて綱代彫りがあります。3段の箱の左側から後ろに掛けても綱彫りがあります。
正方形のもっこ型の窓が左右に2個あります。後ろには、内箱を出す小さい穴があります。
取っ手は黒色の楕円型をしています。

3段の箱に「阿波ういろ」、「クッキー」、「あられ」を詰めてみました。

現代の寄木細工遊山箱

寄木細工の遊山箱です。ほぼ正方形です。高さ17㎝×幅15,5㎝×奥行16,5㎝。山口木工作(山口木工様所蔵)。
寄木された木材を用いて製作された遊山箱です。寄木細工の模様の美しさが楽しめます。
内箱は3段です。同じサイズの寄木細工の箱が3個です。
丸い窓が左右に2個あります。後ろに内箱を押し出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

「唐木(からき)」と銘木を様々な組み合わせで接合し、細工を施していく事を「寄木細工」と言います。
8つの「唐木」が組み合わさっていますので、寄木細工は幸せをもたらすと言われています。

現代の寄木細工遊山箱

寄木細工の遊山箱です。ほぼ正方形です。高さ17㎝×幅15,5㎝×奥行16,5㎝。山口木工作。(山口木工様所蔵)
寄木された木材を用いて製作しています。[唐木」の組み合わせにより、模様も様々です。
内箱は3段です。同じサイズの寄木細工の箱が3個です。 
丸い窓が左右に2個あります。後ろに内箱を押し出す小さい穴があります。
取っ手は黒色のかまぼこ型です。

「唐木(からき)」と銘木を様々な組み合わせで接合し、細工を施していく事を「寄木細工」と言います。
8つの「唐木」が組み合わさっていますので、寄木細工は幸せをもたらすと言われています。